楽曲「マリー・アンドロイド」考察 part2
前回は、マリーが今の生活から脱却しようと思い立ったところまでを解説させていただきました
今回のテーマはそう思い立った「きっかけ」についてですが
それは、サビの歌詞で語られています
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アンドロイドの仔羊は右手に恋する卑しい夢を見る
…かどうかは知らないわ ねぇ独りきりで何するの?
泥だらけの革靴で零時過ぎても踊り明かしてよ
つまづいたらすぐ立つの 誰が休むの許可したの?
金銀ダイヤも妬むほど夜が眩しい夢を見せて
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実は、この辺りの考察は一番自信がありません
こじつけにも程があるなというか、まあ全部こじつけなんですけど…とにかく、まだしっくりきていない部分が多々あります
今後配信されるマリーちゃんの動画によってガラリと変わってしまう可能性が高いです
それでも、自分の考えを整理するために書き残そうと思います
「右手に恋する卑しい夢を見る」
これを、自慰の暗喩と考えます
女性経験に乏しい人が自虐的に使う「右手が恋人」というワードからそのように連想しました
「アンドロイドの子羊」
「アンドロイド」はまあ、マリーちゃんのことでしょう
「子羊」はキリスト教において、穢れなきものの象徴
ここを、機械仕掛けの子羊というより「マリーちゃんの羊(マリーちゃんの所有物)」というニュアンスで捉えてみましょう
そう考えると「マリーちゃんの体に指一本触れなかった誠実な男性」の存在が浮かび上がります
そんな男性(以下、彼)を、最初は馬鹿にしつつも段々と惹かれてゆき、最終的には他の一切がどうでもいいと思える程燃え上がってしまったマリーちゃんの気持ちがサビに詰め込まれているように思います
そんな彼と駆け落ちを試みるところで、前回の記事に繋がります
腐りきった日々の中に「ネバーランド」を見出したマリーちゃん。果たしてこの駆け落ちは成功するのか…
この続きはまた後日